死角

ハロー!プロジェクトが好きだ。卒コンから622日経った今でも鈴木香音ちゃんが頭から離れない。どこかで最高に幸せになってくれていますように。フォーエバーズッキ。香音ちゃんがいるだけで地球はいいところ。 

 

ハロプロはLIVEやらレッスンやらレコーディングやらの映像をよく公式配信していて、ファンはステージ上のかっこいい姿から裏側のかわいかったりテキトーだったりドジだったり雑だったりかわいかったりな姿までいろいろなところを観測することができる。ありがたい話だ

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カワイイはさゆを形容するために生まれてきた概念

 

アイドル(多分芸能人全般)たちは自分を客観視する機会がすこぶる多い。ハロプロならコンサートを撮影されていて、終演後にみんなで見て反省会をしていたりする。グッズの生写真、MV、テレビ番組、自分がどの媒体でどう映っているのか、どういう印象を与えているのか。SNSエゴサもして、自分がどう言われているのかも知っている。そういう資料をもとに彼女たちは自分を調整していく。どんどんきれいにかっこよくかわいくなっていく。

 

まぁオタクが死ぬのはこういうのなんですけど

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ほぼ丸一日カメラがついていてこれだけの人数がいて、できごとの予測ができない状況下で自分を最適な状態にチューンしつづけるのは実質不可能だろう。いわゆる「日頃の行い」というやつが出てくるシーン。見せるための姿ではない部分。そういうところを映したものは評判が良い傾向がある。ディープ層には特にだ。このDマガ(DVDマガジン)も大好評だったし、こういうのもっとやれという声もよく見かけた。

本人にとっての死角。コントロールしにくいところ。そういう「ナマ」の部分にも、あるいはそこにこそ見出される魅力でとらえられたファンは離れにくい。そこでは対象の内在化が行われていて、離れようとすることは自己の切り取りにも似てくるからだ

 

という与太持論のうえで、篠原礼はこの部分においてデレマス内屈指のものがあると推測しているのだが、礼のそれが二次元アイドルというジャンルと相性が悪すぎる形なのでどうにかわかりやすい形になら/できないか悩ましい

という話をしたかったが力尽きた